脳梗塞 〜入院 リハビリ編〜
脳梗塞シリーズ第3段
リハビリ編
今までの経緯はこちらのブログをチェックして欲しい。
急性期病棟からリハビリ病院への転院
いよいよ急性期病棟の仲間達とも離れ離れになり、各々リハビリ病院へ転院する。
たった2週間程の病院生活だったが充分楽しめた、「楽しめた」というと不謹慎かもしれないが入院した本人が言うのだからしょうがない。
何故楽しめたんだろう?
今になって思うのは プラスしかないから だろうと思う。
いやプラスしかないというと誤解を与えてしまうから補足するが “急性期病棟では” という意味だ。
皆、脳卒中というドン底からリハビリに励み“今日はコレが出来た” “昨日より動く” “明日はリハビリ病院へ転院だ” 等感情としてはプラスの事が起きているからだ。
そんなこんなで、明日転院という日を迎えた。
知り合いになった、北島三郎を乗せた事が自慢の元タクシードライバー斉藤さんと別れの挨拶をした。
(斉藤さんとは半年後の診察で偶然会うことになる、元気そうで何よりだった)
リハビリ病院へ
転院初日は診察やら手続きやらなんやらで終わった気がする。
2日目、いよいよリハビリ開始だ。
リハビリには3種類ある
簡単に言うと理学療法はフィジカル面のリハビリ、運動等だ。
作業療法は主に手先の作業、字を書いたり。
高次脳機能は脳のチェック、記憶が無くなっていないか、何か脳の機能が失われていないか。
といったところだ。
リハビリを始めて数日…理学療法、高次脳機能検査はバッチリ問題無しで作業療法が大変だった。
俺の場合は右手足が麻痺していたのだが足は何故車椅子に乗っていたのかと思う程にすぐ歩けた。
運動機能は全く問題無しでリハビリ開始数日で外を散歩、この散歩が最&高で外を歩く事がこんなにもありがたく楽しい事だとは思わなかった。
歩く・走るの有り難みを普段意識する事はないだろうが、この時ハッキリと分かった事がある
ありがとうの反対は当たり前
誰かが言っていた言葉だ。
この時ほどこの言葉を心身共に感じた事はない。
さて、大変だった作業療法に話を戻す。
急性期病棟ではスプーンが持てなかったがこの頃には箸が使える様にまで回復し、自分でももう退院しても良いんじゃないかとさえ思っていたが甘くは無い。
とにかく字が書けない。
字を書く事がこんなに辛いとは思わなかった。
書こうとすればする程、力のコントロールが出来ずにミミズが這った様なデカイ字を書いてしまう。
これは退院まで完璧には戻らなかった。
会社の後輩が来るというので漢字ドリル(小学1年)を買ってきてもらい暇な時間は病室で字を書く練習をした。
※ドサクサに紛れて人妻系の〇〇本も差し入れてくれたのは内緒だ(俺の趣味ではなかったが)
日々書字の練習をしていたが中々うまく書くことができない。
他のリハビリがすべて順調だっただけにかなり焦っていた。
「このまま字が書けないのか?」
「字が書けなかったとしたら利き手を変える?」
作業療法士さんに聞くと利き手を変えるのはかなり大変でよほどのことがない限りしないらしい。
とはいえ字が書けない、これは練習あるのみとの事。
リハビリの日々は続き・・・
約2週間後
退院の日を迎えた。
次回は脳梗塞 ~自宅療養編~
ではまた!